【スタッフ紹介】副院長児島 翔吾
■プロフィール
名前:児島 翔吾
出身地:東京都江戸川区船堀
年齢:30歳
アルバイト時代を含めて、キャリアは10年になりました。
趣味はフットサルやランニングなど、体を動かすことが好きです。
特技は、暗記をすること。
好きな食べ物は、焼肉と桃です。
座右の銘は、『一意専心、努力は裏切らない』。
■治療家になろうと思ったきっかけやエピソード
小学校1年生からサッカーを始め、サッカー大好き少年でした。
幼少期も含め、大きなケガはほとんどしたことが無かったのですが、5年生の時、サッカーのプレー中に友人を追い抜こうとした時に、左足関節の内反捻挫をがっつりやってしまいました。
足首がパンパンに腫れ上がり、1ヶ月ほどは安静が必要で、サッカーや運動を休まなければならなくなりました。
その際、治療の為に人生で初めて接骨院に行きました。
その時にお世話になった先生が、とても親切によく診てくれて、子供ながらに接骨院の先生ってかっこいいな!と。
その後も通院を続けましたが、人を治すことってすごいことだ!と感動し、とても良い仕事だなぁと思ったのが、この業界に興味を持ったきっかけだったように思います。
高校2年生の時にホームヘルパーの資格を取得し、介護の仕事も選択肢に入れて進路を考えていました。
しかし、学生時代はずっと運動をしていたので、その経験を生かして運動している人を治したり、サポートしたいと考え、柔道整復師の資格を取得する為の大学に通うことにしました。
大学1年生の頃に、アルバイトとして接骨院で働き始めました。
その当時、働いていた副院長先生の技術、考えに憧れを持ち、その先生のような治療家になりたいな!と思い、勉学に励みながら柔道整復師になりました。
■治療家になるまでの苦労や大変だったこと
勉学面では生理学が苦手で、テスト勉強の時は毎回必死に勉強していました。
国家試験前は、友人とやけ食いで週1で焼肉を食べまくっていたのも、今となっては良い思い出です(笑)。
技術面は手技を身に付けて、デビューするまでひたすら練習の日々。
指をつってしまうこともありましたが、少しずつ色々できるようになり、戦力として認めてもらえた時はとても嬉しかったです。
一人前の治療家になるまで、大変なことも多くありましたが、どれも今の自分にとって必要なことだったと思っています。
■治療家になって良かったと思うことややりがいを感じる瞬間
キャリアとともにできることも増えてきて、様々な症状に対応できるようになり、患者様から「来て良かった!」「痛みは辛いけれど、治療してもらうことが楽しみになっているよ!」などと言ってもらえるようになりました。
本当に嬉しいし、やりがいを感じる瞬間です。
そして嬉しい気持ちと同時に、もっともっと勉強して、患者様に喜んでもらえるように自分が成長しなければならないな、と感じます。
また、自分の家族や友人が肩や腰など体の痛みで困っている時に、力になってあげられるのも、治療家になって良かったなと思う時です。
何気なくやってしまう動作やセルフケアによって、症状を悪化させてしまうことも少なくないので、そういう時には自分の持っている知識を生かし、的確なアドバイスができるようにしています。
■この院を選んだ理由やきっかけ
他院での2年間の院長経験を経て、ある程度のことであればできるようになったなと思えるようになりました。
しかし、さらなる技術の向上が必要だと考え、KYTや小林式矯正術など、自分が学びたいなと思っていた資格を所有している院長先生の元で成長したいと考え、はればれ整骨院に就職しました。
また、品川接骨院グループに所属していることも、安心できるポイントでした。
■この院を選んで良かったと思うところや院の魅力
院長が常に効率の良い施術を追及していることもあり、勉強会で学んできたことをスタッフにどんどん落とし込んでくれます。
そうすると施術が絶えずアップデートされていくので、自分の引き出しが増えてきて、治療中に困ることがなくなりました。
今では、こうやって治そう!と迷いなくスパッと出てくるようになり、技術面でも自分のレベルの向上がしっかりとできているように感じます。
■治療家としての思い
この仕事をしていると、日常的に痛みを抱えている患者様はすごく大勢いて、身体には一人一人様々な症状が起こることがわかります。
どんな患者様が来院しても、的確に対応できるようにならなくてはいけません。
そのために、症状を良くするにはどうすればよいのかを常に考え、共に症状に向き合って寄り添いながら、多くの方を毎日全力で治療していきたいです。
■今後の目標
はればれ整骨院の先生に診てもらうと良くなるよ!ともっと多くの人に言ってもらえるような治療家になりたいです。
また、ここで培った技術や経験を後世に伝えていき、どれくらい先になるかは分からないけれど、いずれは自分の院を開業して、地元である船堀から痛みをなくし、健康の街にしたいです。